本日の様子 4/28

木々の芽吹きが始まりました。

こんなのが池から羽化しています。

山つつじの花が咲き始めました。水草の活動も活発になってきて透明度も良くなってきています。
魚も浮いていてドライフライやトッププラグに良く反応しています。
GWの放流日は29日、3日、5日を予定しています。

常連のH氏が昨日の状況とコラムを寄せて頂きました。ありがとうございます。


『とうちゃんのはなし』

4月27日(日)。午前中は薄曇。午後は晴。微風。午前8時半、釣りを開始。
水はかなり澄んできた。


とうちゃん、というのは、我が家の裏にあるKさんの家の飼い犬であった。
あった、という意味は、今はいないということであるが、その辺のことは後に述べる。
とうちゃん、という名前は、Kさんの家の男の子が2〜3才の頃に名づけのだという。
それでは、父親を呼ぶときに、紛らわしいのでは、と思っていたら、こちらの方はちゃんと、“お”の字をつけて、「おとう!」と呼んでいた。


Kさんの家で飼われている他の犬たちも、皆、男の子が名づけたらしいのだが、なっちゃん、てんちゃん、はなちゃん、と極めて単純明快。嫌味がなくて良い。

犬たちは数百坪の敷地をぐるりと囲んだ格子状のフェンスの中で、のびのびと飼われている。
鎖につながれ、ろくに散歩にも連れて行ってもらえない犬たちに較べたら、なんという幸せ者。ところが、子犬たちはもっと幸せなことに、荒い格子の目を潜り抜けて自由に外出できた。


とうちゃんは、はなちゃんの子供である。色は茶。耳はピンと立っている。
コーギーの雑種である母親に似て、胴長、短足である。
子犬の時に、初めて我が家に遊びに来たとうちゃんを見て、失礼ながら思わず吹き出しそうになった。
口の両端がきゅっと上がっていて、まるで笑っているようである。この顔、どこかで見覚えがある。

さては、と思ってKさんの奥さんに訊ねると、思ったとおり、父親はその辺を徘徊していた白い野良犬だという。
その犬は、野良犬に似合わず、分をわきまえていて、小生がいつものようにフェンス越しに、なっちゃんたちにビーフジャーキーをあげていると、傍で大人しく待っている。

順番がきて、ビーフジャーキーを差し出すと、少し遠慮する素振りを見せる。小生が食べるように促すと、初めて、おずおずと近づいてきて、食べるのであった。
野良犬ながら、なかなか、礼儀正しいあっぱれな奴。この犬の口の両端がきゅっと上がっていた。とうちゃんの口は紛れもなく、父親似だったのである。


その後、とうちゃんは頻繁に我が家に遊びに来るようになった。小柄で胴長、短足の利点を活かし、自由にフェンスの隙間から出入りした。
成長してからも、他の犬たちと異なり、直ぐにフェンスの下に穴を掘ることを覚え、頻繁に外界と行き来した。
その行動圏は意外に広く、思わぬところでその姿を見かけることもあった。


小生とは気が合うらしく、よく一緒にベランダで日向ぼっこをした。コーギー独特の仕草なのであろう、足を後ろに投げ出してくつろぐ。

その様は、体の後半分を見る限り、もし、尾がなければ宮廷料理などに出てくる大皿に乗った鶏の丸焼きそのものであった。


とうちゃんは、小生が散歩に出かけるのを遠くから見つけては、付かず、離れずについてきた。
犬に良く見かける、変に人間に媚びるところが無く、マイペースで飄々としたところにも共感がもてた。
人間で言えばAB型であろうか。見かけによらず動きが俊敏で、狩の名手でもあった。
散歩の途中で、時々、藪の中に駆け込んでは、キジやコジュケイを追い出したり、ネコを木のてっぺんに追いやったりした。
そのため、藪の中から出てくる時には、瞼や耳の内側などにマダニを沢山付けてきた。血を吸って小豆粒くらいに膨れ上がったマダニは、まるで大きな疣のように見えた。


ある時、我が家の直ぐ下に棲んでいたTさんにあげた高価な原種比内鶏を襲って食べてしまったことがあった。
小生でさえ、食べたことはないというのに!しかし、とうちゃんの「ん?どうしたの。」とでもいうような、愛嬌ある顔を見ると怒る気にはなれなかった。とうちゃんにとっては、野生の鳥も、その辺をうろついている鶏も全く区別はつかなかったのである。


2〜3年後、とうちゃんは、ぱたりと我が家を訪れなくなった。Kさんの奥さんに訊ねると、行方不明になっているという。
詳細に聞き出すと、この別荘地をうろついている野良犬集団の中の雌犬が気に入り、駆け落ちしてしまったのだという。
おまけに、母親の、はなちゃんも連れて行ったという。その後、とうちゃんはぷっつりと消息を絶ってしまったのである。果たして生きているのかどうかも分からない。


惜しい友を失った、と心底思った。


さて、本日は大型連休の最初の日曜日であるが、午前中はどうしたわけか、お客はかなりまばらであった。
オーナーには気の毒であるが、自由に場所を変えられ、ゆとりがある釣りができた。


使用したフライは、18番〜15番のフックに巻いたカゲロウのニンフのみ。細身のフックを用いているため、沈み方が遅い。
目指す魚の前方にこれをキャストして、水面をゆっくりと引く。
キャストしたままで動かさなくても食うのだが、フライが次第に沈むため、バイトした瞬間が見難いのと、動かした方がフライの存在に早く気付く。

今のシーズンはカゲロウのアダルトとニンフを主に食べているらしく、直ぐにバイトしてきた。正午で釣りを切り上げたが、釣果は25〜30匹であった





2008年04月28日(月) 15:37
本日の様子 4/21

山つつじの花が来週は咲きそうです。
昨年池の周りに30本程植えました。GWには見頃になるでしょう。



水草に付いていた茶色い藻が殆どなくなり水草が青々して綺麗です。
水草の活動が活発になってきたおかげで日に日に水が澄んできています。
水温も14℃前後で魚たちにとって、もっとも良い水温だと見えて盛んに
あちこち泳ぎ回っています。


常連のH氏が昨日の状況とコラムを寄せて頂きました。ありがとうございます。

『戻ってきたフライ』

4月20日(日)。曇、後晴れ。午前9時、釣りを開始。
水はかなり澄んできた。

就職して数年過ぎた年のこと、ひょんな雑談からイワナ釣りに連れて行ってもらえることになった。

ハヤ釣りやフナ釣りは子供の頃にしたことがあったが、イワナ釣りは初めてである。
連れて行ってくれるのは、同じ職場のTさん。我々よりもずっと年配である。何でも越後中里によく釣りに行くらしく、Tさんのなじみの民宿に一泊しての釣行ということなった。


民宿の親父さんは赤ら顔でずんぐりしており、見るからに屈強そうな人であった。
何でもその地域の釣りの監視員しているそうで、また、イワナ釣りの名人でもあった。
最初にその親父さんから教わった方法は、釣糸は0.8号くらいの通しで、1mくらい。
いわゆる、提灯釣りである。親父さんに連れて行ってもらうのは魚野川のかなり上流で、そのまた支流の藪沢なのでこれで充分であるとのこと。


目印も錘もつけない。親父さん曰く、「当たりは糸を見ていればわかる。錘をつけないから底掛かりすることもない」。
餌は小生が最も嫌いなミミズである。

一応の基本を教えてもらってから、沢に入った。民宿の親父さん、Tさん、小生と他に職場の仲間が2人くらいだったと思う。
それぞれが、親父さんに場所を割り振られて分かれた。5月の連休であったが、沢にはまだ雪が残っており、釣り場は本流との合流点より少し上流だけに限られた。


さて、糸を垂れては見たものの、雪解けで水嵩が増し、流れは速い。おまけに錘もつけていないので餌がなかなか沈んでくれない。
また、沈んでも、目印がないので、どの辺りを流れているのかも分からない。

苦戦をしていたが、たまたま、餌が岸の直ぐ近くで流れが渦巻いているところに入ったようだった。

すると、急に竿先が弓なりに撓った。
「イワナを釣るときは当たりがあったら糸を送り込んで、ゆっくり三つ数えてから合わせること」、と民宿の親父さんから教えられていたが、そんなことを思い出す余裕もなかった。

竿を立てて、上がってきた魚の腹はやけに赤く見えた。大きさは25cmくらい。
初めて見る野生のイワナであった。同じような場所を探して竿を振り込むと、まもなく2匹目が釣れた。
今度は、当たりがあってからゆっくりと三つ数える余裕があった。その代わり、釣針は完全に飲み込まれていた。


1〜2時間すると、民宿の親父さんと仲間達が上流から戻ってきた。
残雪で釣り場が限られたこともあってか、釣れたのは親父さんの数匹と、小生の2匹だけだった。

宿に戻ると、おかみさんが「Tさんは、魚釣りは好きだども、下手だすけに」、と言った。

この釣果に気を良くした小生は年に数回は、仲間と共に越後中里に通うようになった。
しかし、仕掛けを藪に絡ませる、アプローチが悪くてイワナにこちらの姿を見られてしまうなど、今から思えば、自分の下手さ加減が恥ずかしいほどであった。

それでも、当時は魚影が濃かったため、満足できるほどには釣れたのである。その一方で、大釣りした記憶もない。


フライフィッシングを始めてからも、何回か、越後中里に通った。
尺を越えるようなイワナがフライに出ることもあったが、なかなか、釣れてはくれなかった。
腕が未熟だったためである。そのうち、関越自動車道が完成し、高層マンションが建ち並んだ。
釣り人の数は増え、魚の数は急激に減っていった。藪沢でも放流したての魚ばかりが目立つようになった。


その日はどこの沢に入っても魚の姿が見られなかった。
仕方なく、それまでは釣り人が多かったため、あまり入ったことがなかった魚野川の本流に入った。

親父さんの民宿の直ぐ裏手の辺りであった。
やはり、フライをキャストしても魚は全く出なかった。
そのうち、川岸の流れの上に藪が覆い被さっている場所を見つけた。魚が出るとすれば、ここしかない。

フライボックスの中から14番の黒っぽいパラシュートタイプのフライを選び、ティペットに結んだ。
サイドキャストで藪の下に送り込もうとした。

なかなかうまく行かない。何回目かのキャストでフライが良い場所に落ちた。
途端に、魚が飛び出して、フライを咥えた。
咄嗟に合わせたが、手応えは全くなかった。
よく見るとフライがない。合わせ切れである。

手応えが全くなかったのは、ティペットに傷がついていたためであろう。まだ、別の魚がいるかも知れない。
念のためと思って、フライを結び直し、もう一度同じ場所にキャストしてみた。
ふわりと魚が上がってきて、ゆっくりとフライを咥えた。今度は、ややゆっくり目に合わせる。ずしりとした手応えが伝わってきた。
ランディングすると、28cmくらいの太ったイワナであった。イワナの口には、つい最前に合わせ切れしたばかりのフライがついたままであった。その黒いパラシュートフライは、再び小生のフライボックスに納まった。

それ以後、一度も越後中里には行っていない。民宿の親父さんやおかみさんは、まだ健在だろうか。



さて、本日は日曜日ということもあって、やや混んではいたが、ロッドを振るスペースには、充分ゆとりがあった。
午前中は、18番の細身のフックに巻いたカゲロウのニンフを水面直下でゆっくりと引いて誘うと、一時は入れ食いに近い状態になった。

午後になって、魚が神経質になったためか、水面直下での食いが悪くなったので、16番の太目のフックに巻いたカゲロウのニンフを沈めてみた。
ポツポツとは釣れたが、午前中ほどではなかった。
4時半くらいになって、魚の目が上を向き始めたので、20番のユスリカのニンフを水面直下でゆっくりと引いて誘うと、頻繁にアタックするようになった。
最後にやや大きめのニジマスを釣り上げたところで、終了とした。午後5時までの釣果は30匹くらいであった。


2008年04月21日(月) 06:21
本日の様子 4/15

水温が13℃前後になり魚にとって一番良い温度になりました。
動きもとても活発で掛かると一気に走るのでラインブレイクする方も多く見られます。ライン選択には注意してください。

週末は虹鱒の放流を予定しています。

常連のH氏が昨日の状況とコラムを寄せて頂きました。ありがとうございます。

『先住者と侵略者』

4月14日(月)。曇、後晴れ。一時、強風。8時半、釣りを開始。水は若干濁りあり。


前回のコラム、「サルナシとマタタビ」の中でサルナシの未熟の実を採取して追熟させたと書いた。
本当は木で熟するまで待って採取する方が良いのであるが、その頃は葉も落ち、誰かに見つけられてしまうことを恐れたからである。

いや、この道を車で通る人はいても歩く人は殆どいないので、競争相手は人ではなく、鳥たちである。
彼等はその道のプロである。ヒヨドリやメジロなどは果実の熟す時期をよく知っていて、柿やアケビなどを実に良いタイミングで啄んで行く。


しかし、考えてみれば、小生がそのサルナシの木を見つける前から鳥たちはその存在を知っていたに違いない。
とすれば、鳥たちに横取りされるなどの言い方は身勝手な人間の言い分ではないか。
侵略者はこちらの方である。しかも、先取りして追熟するなどと、姑息なことをしている。鳥たちにしてみれば、極めて心外なことではないか。


ここで、あることを思い出した。小学校の歴史でアメリカ大陸は1492年にコロンブスによって発見された、と習った。
ヨーロッパから新大陸に移住した開拓者にインディアンが襲い掛かる。騎兵隊が駆けつけ、これを蹴散らす。
幼い頃に上映された、このような西部劇をワクワクしながら観たのは小生だけではなかったことだろう。


この歴史描写を変だと感じるようになったのは、それから何年も後のことであった。コロンブスが見つけなくてもアメリカ大陸はそこに存在し、インディアンたちこそが先住者であった。
彼等は我々日本人と同じモンゴル系でアメリカインディアンと呼ばれた。
このアメリカインディアンというのも欧米人が勝手につけた呼び名である。
その先住者の土地を侵略し、殆ど滅亡に近い状態にまで追いやったのは、西部劇に出てくる開拓者とその子孫達であった。

ちなみに、同じモンゴル系である南米のインディオと呼ばれる先住者たちも、同様の運命を辿った。

もしも、「日本を最初に発見したのはヨーロッパの何とかいう国の、だれそれである」とヨーロッパの国で教育が行われたとしたら、殆どの日本人は「ふざけるな!!」と言うことだろう。
立場が変われば物の見方は全く変わってしまう。


それにもかかわらず、欧米人の歴史観を、戦後の日本の教育者達は何の批判もなく、我々子供達に教えた。
アメリカ大陸の発見者はコロンブスであるとし、しかも小学生や中学生に、その年号まで暗記させ、試験問題として出した。
極めて遺憾なことである。今の歴史教育では、この辺はどうなっているのだろうか。


しかしながら、人類の歴史は戦争と侵略の歴史であり、日本も昭和の時代に至るまで、その例外に漏れなかった。

かくいう小生も山の中で、木を伐採して家を建て、そこに住んでいる。
先住の動物達の領域を侵略し、そこが、あたかも自分のものあるように振舞っている。
これまでのところ、直接、遭遇したことはないが、時折、近辺にクマが出る、イノシシが出るという話を聞き、その痕跡も数多く見た。


彼らとテリトリーが重なっているのだから、極めて当然のことである。
しかし、生まれながらに体に備わった爪や牙以外に武力を持たない彼等は、素手の人間には勝るものの、武器を手にした人間達には全く無力であり、いずれは追われてゆく運命にある。

人類は開発という名のもとに、自然を侵略し、既に多種の動植物を絶滅に追いやってきた。

緻密に仕組まれた自然の循環系の中で、人類のみがその居場所を失い、癌細胞のように増殖して、毒素を撒き散らしている。
地球が気の遠くなるような長い年月をかけて、築いてきた豊かな財産を食いつぶし、地球を破滅に追いやるインベーダーは、地球外から来るのではなく、実は、進化の過程で浅はかな知恵を身につけたホモサピエンスであった。


う〜ん、発想が暗い、か------。


さて、本日の午前中は、前日の雨で冷え込んだためか、フライへの魚たちのアタックが今一だった。ポツポツとは釣れたが、当たりフライが分からず、やや苦戦を強いられた。


午後になって風が強くなったので、18番のフックに巻いたユスリカラーバ(赤)を使い、フライから30〜40cmのところに極小のインディケーターを付け、岸から数メートルのところに回遊してくる魚群を狙った。

この作戦が当たり、一時は入れ食い状態になった。その後、風が止んでライズが激しくなったので、いつもの24番のユスリカピューパをゆっくり引く釣りに替えた。

4時半近くになって、ネコのクロさんがいつになく激しく鳴きながら魚をねだりに来た。
直ぐにサクラマスが掛かったので寄せて、ネットに掬い入れた。フックを外そうとしているうちに、岸で待機していたクロさんにネットの上からかぶり付かれてしまった。

与えたサクラマスはあっという間に、頭から齧られ、尻尾だけになってしまった。オーナーに聞くと、数日前に子供を産んだばかりだと言う。
余程、腹をすかせていたらしい。

4時半過ぎにあがるまでの釣果は40匹近かった。



2008年04月15日(火) 05:20

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